「居合」の始祖は、戦国時代の林崎甚助源重信公で、「神夢想林崎流」を興しましたが、その後、それを源流としてさまざまな流派を形成し、今日にいたっています。ここでは、当連盟に現在所属する流派についてご紹介します。
流派の名称「英信流」は、江戸時代に出た長谷川英信が「林崎夢想流」の第七代宗家を名乗り、居合術の体系を集成したことから、その名をとって「英信流」と称されるようになりました。以降、以降、土佐藩の御留流として代々継承され、戦後に入ると第二十代宗家 河野百錬、第二十一代宗家 平井一蓮阿字齋、第二十二代宗家 平井明阿字齋、第二十三代宗家 清宮阿陽齋を経て、 現在、第二十四代宗家 福嶋阿正齋に継承されています。
また、宗家を中心とする流派の継承組織として、第二十一代の平井宗家が創立した「阿字会」が発展した「無雙直傳英信流居合兵法阿号之会」が平成21(2009)年に設立され、流派の維持・継承を続けています。
流祖は篠田馨(明治21(1888)年生まれ)で、号を櫻峰正庸(おうほうまさつね)といいます。北辰一刀流の小野直右衛門、神刀流開祖の日比野雷風の薫陶を受け、「北辰神櫻流」を創始しました。その後、篠田師のもとに入門した菅沼敏博が後継者となり、昭和48(1973)年に第二代宗家の允許を受け、流派の発展に尽くしました。「北辰神櫻流」の系譜は、その後、菅沼延之氏が宗家を継承し、今日にいたっています。
菅沼延之宗家は、同流派の発展のみならず、運営体制の再構築など、当連盟基礎固めにも大いに貢献されました。
https://sites.google.com/view/iai-sakura/
流祖は林崎甚助公について居合を修練した片山伯耆守久安です。その力量は豊臣家の知るところとなり、豊臣秀次・秀頼に仕えて天下人の指南役に抜擢されたと伝えられます。豊臣家の滅亡後は周防の岩国へ移り、吉川家の客分として逗留し、その地で生を終えました。
流派はその後代々受け継がれましたが、第九代目宗家 片山武助が1944年に亡くなると一時断絶。第四代目宗家 片山利介久安の門人 星野九門実則が第十代目宗家を継ぎましたが、その後、第十二代目宗家でふたたび断絶。現在は、第十代、第十一代の高弟につながる剣士たちにより、熊本・京都を中心に流祖の精神と業を継承し、今日にいたっています。